
TVアニメ『リィンカーネーションの花弁』第一輪放送開始を記念し、
扇寺東耶役、千葉翔也さんのスペシャルインタビューが公開!
オーディションで印象に残っていることを教えてください。
千葉 スタジオオーディションの際に原作を読み込んで臨んだんですけど、自分こそ東耶だろうと思いながら受けていました。何者かになりたいという焦燥感、周りにいる人を冷静に分析しながら、認めるところは認める部分とか、そういうところ全部に共感したんですよね。東耶って、説明するのがすごく難しいキャラクターだと思うので、そういう中身から作れればいいなと思っていたんです。
スタジオオーディションはどんなものだったのでしょうか?
千葉 掛け合い形式でのオーディションだったのですが、東耶のセリフが非常に少なく、灰都とノイマンがすごくしゃべるような台本だったので、何を求められているのかをすごく考えました。常に焦燥感を持っている人の焦りとか、本人しか持っていない野望感みたいなものを見せられたら伝わるのかな?と思いながらやらせていただいたので、伝わって良かったです。のちに監督が「誰よりも前のめりで、一番ギラギラしていました」みたいなことを言ってくださっていたので、そんなにしゃべっていないのにそれが出ていたのなら良かったなと思いました。
あと、フリートークをする時間もあり、テーマが「偉人の能力で手に入るのなら?」というものだったんです。僕は作品を読んできているかどうかがわかったほうがいいと思ったので、『項羽』と答えたのですが、あとで聞いたら、他のメインキャストの皆さんはそういう答えとは限らなかったらしくて、まったく別の返答をしている人が多かったらしいんですよね(笑)。一緒に受けていた方もそうで、自分こそが多数派だと信じていたんですけど、蓋を開けたら、僕のタイプが1割くらいだったそうで……。だから、この凝り固まった思考感も、もしかしたら東耶に繋がったのかなと思いました(笑)。
原作を読み込んでいったのだから、尚更そこは出したくなりますね。
千葉 原作が面白くて、当時出ていたところまで、全巻紙で買っていたんですよ。だから、これは絶対に落ちるわけにはいかないし、そういう圧を自分にかけながら読んでいたんです。しかも今回は東耶で受かりたかったので、これで違うのなら、演出と合わないのだろうと思えるくらいピーキーにやったんですよね。それが良かったのかもしれないなと思っています。
原作のどのあたりに魅力を感じましたか?
千葉 東耶は才能というものに対する解釈について、答えが出ている人だなと思ったんです。高校生なので、それが塗り替えられる余地は残っているんですけど、僕も一度決め切ってから、違ったら変えていくタイプなので、作品における考えの深さが、すごく性に合っているなと思いました。
灰都もあっけらかんとしたキャラクターに見えるけど、「こういうことがあったから、そのトラウマを払拭したい」みたいに、ちゃんと方法論を考えるキャラたちが揃っているので、どの会話も見ていても楽しかったんですよね。あと、コミカルとシリアスのバランスがすごく良くて、先生のセンスがほとばしっていると思いました。このタイミングでギャグを入れたら壊れるのではないかというところも含めて、作品の味になっているんです。何が起きてもおかしくないという不安定さを見せるのではなく、常に壊れているのに安定しているから、展開が受け入れやすく、裏切られるのが気持ち良かったです(笑)。
才能がテーマにもなっていると思うのですが、才能に関して考えることもありましたか?
千葉 めちゃめちゃ考えました。東耶って模試で全国上位に入っているので、それはもう才能に近いのではないかと思うんですけど、彼にとっては一番以外は意味がないし、そこに勝ち負けが存在すると思っていると思うんです。僕は、才能に関しては勝ち負けで考えてはいないんですけど、今この人が勝ってるな、今負けたなとか、圧倒した側とされた側が存在するとは考えているので、常々勝負しているという意味では、東耶の才能に対する考え方と通じるところがあるのかなと思いました。
勝負はしているけど、それを勝ち負けと捉えているかどうか、なんですね。
千葉 東耶的には、一番じゃないと才能がないということになるんですけど、僕は意外とそうではなく、明確に順位付けされるものと、その外にあるカリスマ的なものも含めて才能だと考えているんです。でもまぁ、残酷なものではありますよね。だから才能を持っている側は、周りから妬まれることを慮ったほうがいいと思うし、才能がないと思う側は、それは負けではあるのだからそれに抗う力を見せてほしいなという。自分の立場がどちらなのかに関わらず、寄り添おうとする力は必要なのかなって、この業界にいると思います。
東耶は、才能を渇望し、才能を持つ者へ強い嫉妬心を持つキャラクターですが、千葉さんはどのように捉えていましたか?
千葉 東耶は、兄に対する羨望と、周りからの抑圧によって生まれた劣等感があるんです。読み進めていくと、自分自身に対する軽蔑とか失望が強いなと思いました。それが傍から見ると、周りのことを下に見ているように映るかもしれないんですけど、実はそうでもなくて、周りのことを「周囲」というざっくりとした見えない影のように捉えているのではないかと思ったので、独り相撲な人だなと思っています。
なので言っている言葉が、高校生にしては小難しかったり、同級生にも敬語を使っていたりするんですけど、それは全部がしっくりこないから行き着いたのかなと思いました。だからそこに丁寧さも慇懃無礼な感じもないので、人に対するポジションの取り方がわからない人なんだろうなと思います。
それらを表現するために、どのようなアプローチをしていきましたか?
千葉 基本、警戒ですね。僕が東耶を通して思うのは、自分の存在が揺るがされるのが一番の恐怖なんですよね。自分よりすごい人間が出てきたときにストレスがかかるはずなんですけど、東耶は第一輪から一貫して、それが良いものであれ悪いものであれ、すごいものであればウキウキできる部分を持っているんです。そこのネジは緩んでいるので、敵キャラに対しても、良くない暴力なのに強いという点においてはすごいと思えてしまう。そこが東耶の他の人とは違う部分なので、そこはお芝居で拾いつつ、かと言ってそれを持って誰かを傷つけようとするわけではないので、力を持って何かをしようとまではたどり着かずに、力そのものに憧れている……。そういう意味では少年漫画的な部分もあるので、失望している感じと純粋さみたいなものが、悪いかけ違い方をしたら彼らしくなるかなと思いながら演じていました。あと、漫画で読んでいたときよりも、もっと暗いイメージになりました。大きな声を出す力もないというか。
暗いというのは、アニメの演出的に、そういう方向性だったということですか?
千葉 アニメ制作チームも、ざっくりひと言で言うならば暗いで捉えていると思っていて、僕自身も明るくはないと思っていたんです。あと対等にしゃべる活力もない人ですよね。コミュニケーションを取りたいという土壌がないから、相手のテンションとかに乗っからずにボソボソしゃべるし、抑揚も付けないし、言葉で相手をどうしようとかも思っていないので投げっぱなしになるんです。それが暗く聞こえてしまう。
ただ、アニメを作るとなると、それだと視聴者的にも制作的にもつまずく感じが生まれてしまうと思うので、音色的には明るくしてほしいとディレクションがあるのかなと思ったら、全然そんなことは言われなかったので、この作品はとっても東耶を掘り下げているんだなと思いました。もっと主人公感みたいなものを演出しなければいけないのかなと思ったのですが、そこは求められなかったです。
方向性が同じだったのですね。東耶は灰都との掛け合いが多くなりますが、灰都と掛け合った感想と、彼女の魅力を教えてください。
千葉 灰都に過去があって、才能を求めた理由みたいなものを吐露してくれたことで、東耶的には一気に共感をして心を許すところがあるので、それ以降は根本的に、この人は自分と同じで、唯一“楽さ”を感じていると思うんです。だから、一緒にいるときはわりと安らぎに近いものを感じている。ただ、掛け合いとしては、もはや世界が違うというか。理由なく元気だし、丸岡和佳奈さんもきっかけがなくとも大きい声が出る人なので、基本的にはこっちが常に受けているというか。主人公は東耶だけど、東耶が受け身で会話をしているイメージですかね。灰都はブレがないから、それに対してリアクションをしていく感じでした。
丸岡さんは声が大きいんですね。
千葉 大きいんですよ。これまでのキャリアで、一番声が大きいと感じているかもしれない。でも、何て言えばいいんだろう……それこそ、僕は丸岡さんの声帯に才能を感じていて、多分、これは技術だけでは、常人が到達できない域にすでにいるんです。そういう意味では、ものすごく才能のある声帯だと思っています。叫んでいる声に、変な頑張り感とか欲が見えないので、なぜそうなったのか、どう練習したんだろうと思いました。あと、僕が女子じゃなくて良かったなとも思いました。同性だったら、その才能に確実に嫉妬していたので。
最後に、アニメのどんなところを見てほしいですか?
千葉 原作の小西幹久さんをはじめとした原作サイドの皆さんが、原作に対する確固たる世界観を持った上で、アニメの表現はアニメのものだと思ってくれているというか。「絶対にこうしてください」とか「このシーンはこう言わなければ東耶じゃないです」といって縛るというより、合っていれば肯定するし、違っていれば広げてくれてありがとうと思ってくれるような、すごい懐の深さを感じるんです。ちょっとやそっとではブレないものがすでにあるんだろうなというものを出してくれていたので、僕も自信を持って演じることができました。
アニメは漫画を音読しているわけではなく、時間も物理的に経過しますから、20秒かけてゆっくり読んでいた文章を5秒で終わらせることもあるんですけど、それも含めて『リィンカーネーションの花弁』という原作から生まれたものであれば、それはひと枝に過ぎないんだという太鼓判を押してくれていた気がするので、原作を読んでいなくても楽しめると思います。原作が超美味しいみかんだとしたら、アニメはそれをめちゃめちゃ絞って超濃いジュースにしたような感じですかね(笑)。誰かのイメージを再現しようとかではなく、エッセンスをこれでもかというくらいグラスに注いだみたいなアニメになっているので、情報量はものすごく多いです。なのでそれに圧倒されて正解というか。そのくらいのパワーがあるアニメだと思いました。 あと、役者さんたちは、1話で退場してしまうようなキャラクターであっても、そのキャラクターがメインキャラクターだったらこの人が演じるだろうなという方がやってらっしゃって、それが作品の説得力を作ってくださっていると思いました。しかもそれが最終話まで続くので、そういう意味で、キャラクター像に対するリスペクトがすごくあるアニメだと思っています。たまたま東耶が主人公だから尺が長いけど、どのキャラクターも主人公のようにキャスティングされているので、そのあたりはぜひ楽しみにしていただきたいです。途中、かなり会話劇になるんですけど、ここまでセリフだけで持っていく非日常ものも、僕はあまり観たことがないので、繰り返し観ても、味のある会話劇が繰り広げられていると思います。